PROFILE

いっしー@新米パパこと 石原和明です

プロフィールに来て頂いてありがとうございます。
少し私の経歴をお話しさせていただきます。

平成1年7月17日生まれ、巳年 かに座 です
三重県四日市市で生まれ育ち、

《 経歴 》
西橋北小学校
橋北中学校
四日市工業高校(物質工学科)
日本福祉大学
(建築と社会福祉士を専攻)
22歳、某工務店で住宅営業として働く
25歳、某外資系保険会社に転職、在職中

《 高校時代に事故で首を切って、
人生観が変わった》


いきなりすごいとこから話ししますが
僕にとって、影響を与えた出来事なので
ここからはじまります

お風呂場で、
立ちくらみからの意識が飛んで、
目を開けたらガラスが首刺さっていました

「死ぬかと思いました。」

病院に運ばれて、
無事手術が終わりなんとか生きてます。

その時に、家族、親戚、友人、先生、
バイト仲間が心配してくれて
沢山の人がお見舞いに来てくれました。

ひとりの友人には
「お前が死んだら、
どうしたらええかわからん!」
と怒られました。

この時、僕は自分が死んだ時に
こんなにの人を悲しませてしまうのか……

「簡単に死んだらあかん。」

そう思いました。
それをきっかけに、入院中に
自分の人生の身の振り方を考えていました。

入院中は、看護師さん、お医者さん、
家族、友人、
沢山の人に支えてもらっていたので、

「今度は、僕が人を支えていける仕事をしたい」

こう思ってからは、早かったです。
人に尽くせる仕事=福祉

福祉大学だ!
工業高校で学んだ知識も活かせるような学科を探し、
日本福祉大学に進学をしました。

《 社会福祉士実習での挫折》


社会福祉士の道を進もうと思っていた
大学時代
実習で、挫折しました。

利用者さんの支援計画を立てるも、
考えても、考えてもゴールが見えない
家族との疎遠、施設の限界、制度の限界、
金銭的問題、本人の意思、、、問題の山積み。

利用者さんにとって、最善の方法を取りたいけど、
様々な弊害があって実現できない。

これができるようになれば、ここで詰まる。
あれを使うためには、ここができず進めない。

定時で、実習の時間が終わってからも
ずーっと考えていました。

使える制度はないのか。
問題を解決する方法はないか。

ずーっと考えて、朝になり
また1日が始まる。

割り切ることができれば、
もっと楽に働けるんだろうけど、
割り切れない。

そこが自分の良いところでもあり、
悪いところでもある。

答えのない、問題山積みを
なんとか解決しようと考えるも、
また朝がくる

1日が始まる。

この繰り返しで、
僕の精神はすり減っていきました

(注意‘実習中の話です)

これを仕事にすることは、僕にはできない。

担当してくれた先生にも

「お前にこの仕事は合っていると思うけど、この仕事じゃない方がいい」

「お前の持っている明るさや、人を元気にできるのが良さなのに、それが無くなっている」


こんな言葉をもらいました。
社会福祉士として働こうと思っていた道は、ここで途切れました


《 住宅営業の道へ進む 》

社会福祉士の道を諦め、
どんな仕事に就こうと
考えていた時に大事にしていたことは

「人に尽くせること、
人に喜んでもらえること、
その対価がお給料になる仕事」

これだけは、ブレませんでした。

これまで学んだ知識、経験、
社会福祉で学んだ対人援助を活かせて、
自分の良さをそのままに働ける仕事は?

と、考えた時に
「住宅の営業」とフッと思いました。

それをキッカケに
「住宅の営業」の仕事を探し、就職しました

ここでは
お客様の夢や理想、ライフスタイル、
将来、趣味など
たくさんのことを聞かせていただき、
一緒にお家を考えていく仕事

僕は
とことんお客様に尽くすことができる。

そして喜んで貰えた先に
ご契約をしていただき、
その家族の担当として一緒に人生を過ごしていける。
そんな最高な仕事でした。
その対価がお給料になるので、もー最高です。

《父の病気》


ある時、母から一本の電話がありました。

母「あんたのとこにお父さん行ってない?」
僕「来てないけど、どうしたん?」
母「数日間帰って来てないの」
僕「連絡取ってみるわ、また何か分かったらすぐ連絡するわ」

ここで詳しい話はしませんが、
父は病気になっていて、
その手術のために入院していたのです。
誰にも言わず。

おい!って思いますが、
その気持ちはわからんでもない。
あなたの子供だからね。
周りに心配かけてしまう性格なんです。

今、父は元気にしているので良いのですが
こんな事がまた起こるとなると心配
出来るだけ、近くに居れるようにしたい。

住宅営業としての
就職先が地元ではなかったので、
転職して、四日市に戻ってくることになりました。

《保険の営業との出逢い》


地元に戻って、
住宅の営業をしようと思っていました。
そんな中、
1つの出逢いが保険の仕事にすすむキッカケになりました

ある時、保険の人と会うことになり
保険を勧められるのかと、思ったら
「保険ではなく、保険の営業をやらないか」という話です。

その質問を受けた次の瞬間

「やりません。」

即答です。
僕がやりたい仕事と反し過ぎている。

人に尽くすというより、
人にお願いして買ってもらう

喜んでもらうというより、
嫌われる


そんな対価がお給料になる仕事。

そんな仕事はしたくない。
だからこその即答でした。


しかし、保険の人の話は続き
その話を聞いていくに連れて、
ぼくは「保険の仕事をしたい!」そう思っていました。

(決して洗脳された訳ではありません)

僕が保険の仕事をしたいと思った理由は

・ノルマがない
・保険業界の現状
・保険の必要性を伝えていく仕事
・時間を自由にコントロールできる
・お客さんに喜んでもらえた対価がお給料になる

ざっとこんな感じです。

「ノルマがない」
→無理にお願いてやって貰わなくて良い

「保険業界の現状」
→ひどいもんです。
これを知った時、衝撃を受けた。
知らない人は知った方がいい絶対。
この現状を知って、保険業界を良くしたいと思った


「保険の必要性を伝える仕事」
→ノルマが無い分、目の前の人に素直に伝えることができる
   知らず知らず、長い年月をかけて大金を払うんです。
   何が必要で、何のために必要なのか、いま必要なものは?
   考えるキッカケを提供できるなら、人の役に立てる


「時間をコントロールできる」
→父のこともあったし、
   家族に何かあった時に直ぐに駆けつけられるようにしたい
   何かなくても、子どもの授業参観、運動会は参加したい


「お客さんに喜んで貰えた対価がお給料になる」
→僕の大事にしていること、そのまま。


あと
「社会福祉士として出来なかったことを実現できる」と思ったから

老後、自分が施設に入るかも知れない、医療を受けるかも知れない
そんな将来は誰もが訪れる。その時の状況はわからない。

制度は?施設は?家族は?お金は?

健康なうちに、将来のことをお客さんと一緒に考えていれば、

僕が社会福祉士実習で経験した、
「どうしようもない状態。
ゴールが見えない状態」になったとしても、僕がお金だけは持っていける。

お金があれば、なんとかなる
そうすれば制度も施設も、関係なく
その人らしい人生を守ることができる。

そう、思いました。
そこから、自ら保険の道へ入り、2018年現在4年目を迎えることができています。


《僕の仕事とは?》

僕の仕事は、保険の営業マンです。
僕は、「保険の営業マン」と聞くと、
「ウッ!!なんか売られる!」と思います

(僕も保険の営業マンと会うの怖いから、
近寄りたく無いもんw)

それでも、僕も同じ保険の営業マンです。
たたこれだけは信念として守ります。

保険の押し売り、
お願いセールスは絶対しない

お客様が満足、納得した上で大切な保障を預かります。

保険業界の「イマ」、
保険の知識提供に努めます。

僕が教えないと、
日常では保険の本質に触れる機会はありません。

お客様に媚びません。
僕の家族、大切な友人だと思って、
ハッキリと伝えます。

良いものは良い。悪いものは悪い。

長いお付き合いをしていく

お客様は、家族のようで旧友のようで
お互いに気を使わず、自然体でいられるように
ぼくも自然体で接します。
(仲良くなればなるほど、方言が出てきます)


《最後に.

僕は大切な人のために勉強する》

沢山のことを勉強するのは、
ぶっちゃけて言えば、
自分や家族が嫌な想いをしてほしく無いから。
僕は亡くなったら、家族が安心して暮らせるようにしておきたい。

だからいろんなことを勉強します。


そして言いましたよね?

僕はお客さんを家族、友人だと思っています。
だからどんどん勉強したことは、みんなに伝えていくからね!

長い保険屋さんとしての人生、
沢山の家族、友人が増えてくることを
願います。

ホームパーティしたいね!
何百人規模の!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
すごい長いプロフィールでしたが、
これでもカットしたんです笑
詳しく書きたいことは、まだブログで書かせてもらいますね。

これからもよろしくお願いいたします

2018年2月23日 
いっしー@新米パパこと 石原和明